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「信長・秀吉・家康」に次ぐ第4の男についての質問 …
2009年07月25日
Q.質問
「信長・秀吉・家康」に次ぐ第4の男についての質問です。【お礼】500枚でお願いします。戦国時代、「信長・秀吉・家康」に次ぐ第4の男は誰かと聞かれたら、私は迷わず「前田利家」と答えます。その根拠は、①・・・・・「信長・秀吉・家康」と同じ愛知県出身だから(でも、あんまり関係ないけど)。②・・・・・「毛利輝元」や「上杉景勝」らと異なり、唯一「秀吉」や「家康」に物言えた5大老で重きをなしたから(官位も 従二位権大納言)。③・・・・・「秀吉」死後、翌慶長4年元旦の伏見城での「秀頼」君への「年賀の礼」の際、傳役という立場上「秀頼」君を抱いて上座で諸大名の年賀の挨拶を受ける。つまりその光景は、あたかも諸大名が「利家」に頭を下げているようだったと(あの「家康」も下座で頭を下げる!)。でも、逆に言えば、虎の威を借る狐状態か?④・・・・・③のその後、「秀吉」の遺言通り、「家康」が伏見城で政を司り、「利家」が秀頼に扈従し大阪城に入り、大坂城の実質的主となる。そして、「家康」と唯一互角に渡り合える程の人望と武略を持っていたので、「家康」と覇を競ったと言えると思う(とても短い間だったけど)。⑤江戸時代、石高ナンバーワン大名が前田家だったことを考慮すると、その基盤を固めた「利家」の存在意義は極めて大きい。なぜなら、「信長・秀吉・家康」は一度天下を握っているが、「利家」は天下一の大名家を作ったと言えるから(でも、本当は芳春院の貢献も凄かったけど)。以上の根拠が考えられます。で質問!あなた(回答者さん)も「利家」が、「信長・秀吉・家康」に次ぐ第4の男だとは思いませんか?そうだと考える肯定意見を待っています。尚、思わない方の否定意見や、そもそも第4の男という考え方事態おかしいだろうと言う反対意見でも大歓迎です。また、あるいは「利家」じゃなく、この大名が第4の男ですという意見も大歓迎です。非常に長い文章になって申し訳ありませんが、どうかお願いします。
2009年08月01日
A.回答
第四と考えるのはどうかな?という気はします。秀吉亡き後、次代の天下を争える位置にいたのが家康と利家と考えるべきなのでは。言うなれば「第三の男候補」ってとこじゃないでしょうか。もっとも本人の行動を見る限り前田家の天下よりは豊臣家の天下の存続を願ってた感じですね。元をたどれば秀吉と家康は最初は争ってたんですから、利家がその気になれば豊家恩顧の武将をけしかけて江戸に攻め入ることも不可能ではなかったでしょう。しかしそれらしき行動は何もせず、江戸と大阪の緊張を何とか納めていたようですし。本人にその意思が無いとなると天下獲りの一人として名を挙げるのはちょっと苦しいのでは。あと世代的にも家康の次に来るというのは苦しいと思います。利家のほうが家康より4つ年上だし。そういう意味ではやはり実力や野望が見え隠れする部分を考えるに、他の方も挙げてますが伊達政宗あたりが「第四の男」に相当すると思いますね。他には徳川家の一族ではありますが、松平忠輝も候補としては挙げられる…かな?ちょっと弱いか^^;